去年12月、余命1年の宣告を受けた母…
母の闘病生活、ガンという恐ろしい病気のこと
遠く離れて住んでいる私と孫たちの母への思いなどを綴っています
- 2019 . 01 «
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書く事で広告が消せます。 |
久しぶりの更新です
去年のクリスマス前からしばらく実家に帰ってました ほんとは手術をするはずだったけど体調が悪くなりできなくなってしまった それは肺に影がでてきたから。。。 カリニ肺炎かと思われたけど…再発でした 11月まではまだ元気だったのに。 心配で早く実家に帰りたかったけど子供の幼稚園もあるしなかなか帰れませんでした 帰る前に兄と電話で話した 「前とは全然違うから ほんまに大変やから」と言われた どうゆう風に大変なのかよくわからなかったけど家に着いてその意味がすぐわかった 会った瞬間正直驚きが隠せなかった あまりに変りすぎて…薬の副作用で顔が前以上にパンパン 腫れ過ぎて話しづらそう…笑うこともできない 一応会話はできるけど一日のうちほとんど寝てる 眠くてしょうがないらしい でも起きてるうちは1才の孫を一生懸命目で追ってた 子供が泣いて抱っこをせがむけど私は家事をしていて手が離せなかった それを見ていた母は弱々しい声で 「ごめんね ○○ちゃん、抱っこしてあげれなくて ごめんね…」と言ってた 辛かった… でも母はもっと辛かっただろうなぁ… 私は実家にいる間に色々してあげたかった 父は働きながら母を介護し、家事をしているのでかなり疲れてるはずだから。 だけどそれ以上に母と色々話しがしたかった 母も話したいことがたくさんあるだろうから聞いてあげたかった でも、考えて話すことがすごく大変そうでした 母も「話したいことあるんやけどなぁ」と言ってたけど結局 あまり話すことは出来なかった もう字も書けないないし目もあまりよく見えてないよう… ************************* 1月9日にこれからどういう治療をするかという話をするために 家族全員で大阪の病院まで行った… 余命1年宣告から1年1ヶ月経過。 スポンサーサイト
テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 |
--あんずでダイエットを考える--
あんずの原産地はネパールから、中国の山東、山西、河北地方の山岳地帯です http://money2.sabellsenterprises.com/
|
|
| ホーム |
|