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『あれから』
2月1日に救急車で運ばれてからもうすぐ2ヶ月。
最初は酸素マスクに体は管だらけで見てるだけですごく辛かった
お見舞いにきた従姉妹がすっかり変ってしまった母をみて泣いてしまったほどです(私も半泣きだった)

3日程経つと少し意識が戻り始めた
声を掛けるとかすかに返事をするようになった
しばらくすると完璧に意識がもどり目も少しあけるようになった
意識が戻りみんなで喜んでたんだけどそれはそれで辛いことも…
意識が戻ると痛みも感じるようになり「痛い…痛い…」と言う声が
廊下まで聞こえるようになった
その声を聞くのも辛かった
でも血圧も落ち着きはじめ管が1つづつはずせるようになってきた
食事はとれないので口から管を通して直接胃に流しているんだけど
これが痛いらしい
ずっと寝たきりで運動もしてないのにいきなり食べ物が入ってきて
腸が動き出したから痛くなるようです

これが食事です↓↓

20070322085120.jpg


必要最低限の800カロリーのお食事です
これがドロドロしてすぐ止まるから時間がかかってしょうがない
その間ずっと痛がってます

*****************************

救急で入った為内科にいたので呼吸器科へ移る事になりました
ココは新館でとてもきれいです
部屋にはシャワーもトイレも完備の一人部屋です
やっぱり部屋代は高く前の倍で差額ベット代が15000/日になりました
ある程度は保険でまかなえるだろうけど父は大変だろうなぁ…

今日はどうかな?元気になってきたかな?
もうすぐ春休みなのでまた実家に少し帰る予定です





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2007/03/22 09:03 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP
『遂に…』
2月1日 夕方、兄からメールが来ていたのに気づいた
「今救急車で病院に着いた!
あかん!お母さんもうあかんかもしれへん!今夜が峠らしい!」

遂にこの日がきたのか?!
心臓がバクバクして飛び出てきそうになった
いつかこんな日が来るだろうとは思っていたけどいざ来ると
もうパニックで何がなんだかわからなくなってしまった
とりあえず兄にすぐ電話をして何があったのかを説明してもらった
私はパニックで兄が何を言ってるのかよく理解できないほどだった
病院に着いた時は、血圧が上55下25とかなり危険な状態だった
そして脱水状態であることと血糖値が測定不可能な数値だということだった
救急車を呼んだのはたまたま往診してもらってる先生から連絡があり
母の様子を聞かれ母の状態をつたえると救急車をすぐ呼んでくださいと言われたらしい
特にいつもと変らなかったらしいのであの時先生から電話がなかったら
あのままほっておいたと思うと兄が言っていた
自宅療養をしていたので兄が側にいたんだけど脱水していることにも気づかず、様子がおかしいこともわからなかったらしい
やっぱり素人が介護するのは難しいことなのかもしれない
とにかく電話をきってすぐ荷物をまとめ子供を迎えに行き
新幹線に飛び乗った
実家まで新幹線で2時間半。
どうか間に合いますように。。。!!

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2007/03/03 00:49 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP
『緩和療法かそれともイレッサ…』
1月9日。
この日私は子供を養父に預け家族で大阪の大学病院に行った。
私は結婚して九州に住んでいるので先生の話を直接聞くのは
1年前に余命宣告された時以来。
とても緊張しながら待合室で呼ばれる待った。
名前が呼ばれ家族で診察室に入った
そういえば家族で診察室に入る人は周りにいなかった
いいなぁ…と思った
さっそく先生はレントゲンの写真や腫瘍マーカーの数値を見せながら現在の状況を説明された
レントゲンの結果…素人の私でもわかるほどの影があった
12月のと比べるとやっぱり大きくなってきてる
11月までは肺はいつもきれいだったらしいのになぁ…
先生はとても慎重に言葉を選びながら説明されていた
やんわりと穏やかに話されるけど検査結果は恐ろしいものだった
腫瘍マーカーが去年の3月ごろは「9」とかだったのが
徐々に上がっていき夏辺りから急激に上がってた
10月辺りから倍ずつ増えていた
恐ろしい。。
先生は腫瘍マーカーを見て

「いよいよがん細胞が目覚めたようですね」
と言いました
はぁ…そうなんやぁ…
どうしよう…
母は先生の言葉を理解してるようだった
私はかなりショックを受けたけど母はもっとなんだろうなぁ
言葉には出さなかったけど相当なショックだったはず…
こんな時なんて声を掛ければいいのかわからなかった

そしてこれからの治療方針をどうするかという話になった

「緩和ケア」イレッサかどちらかしかなかった
病院に行く前夜に家族で話し合っていた
父、兄、私は「緩和ケア」を望んだ
母は…
話すのが困難になっていたけど自分の意見を言った

「もっと生きたい…」って。

私は涙が止まらなかった
待望の女の子の孫が産まれたばかりで母もとても喜んでいたのに。
1年前の宣告のときも先生に
「もっと孫の成長がみたい」って言ってた
これから一緒に旅行に行ったり色々親孝行したかったのに…!
はぁ…ガンってヤツはほんと恐ろしいヤツだ!

イレッサは使わないことにしたので治療はしないことになった
先生はどんどん進行していくことになると思いますといった
もう恐ろしすぎ。。。
そして治療はしないのでもうここの大学病院には世話になれなくなった
近くで病院を探さないといけないなぁ

一昨日母の誕生日で電話をした
先生の言葉どおりどんどん悪くなってるよう





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2007/02/01 01:00 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP
『これからのこと。』
1月8日。

明日は今後の治療法を決める為病院に行く日です
夜、家族で母の「これから」について話し合った
ほとんど話せなくなった母もこの時ばかりは必死に自分の気持ちを伝えようと頑張っていた

「これから」とは…

12月、肺に影がでて体調も悪くなり手術ができなくなってしまった
そして歩くことも困難になり介護が必要になった
そこで先生から言われた。
もう手術もできない、抗がん剤もできる体力がなくなったとなると
残る治療法は経口剤の「イレッサ」しかないと。
でも私はイレッサの怖さを看護婦である友達から聞いていたので
絶対にしたくなかった
その友達の知り合いが26歳で肺ガンになり、そこから先生に言われるままにあらゆる治療をして最後はイレッサをしてあっという間に亡くなってしまったというのを聞いていたから余計に怖かった
先生からもイレッサはおすすめできませんと言われていた
なぜなら、80%は効かないないから。
薬があったとしても現状維持か若干元気になるくらいらしい
延命にはならないとはっきりいわれた
しかも、もし薬があわなかったら…約2週間で結果がでてしまうとも言われた
そんな恐ろしい薬絶対に反対だ!
ちょっと元気になるためにそんな薬使いたくない!
父と兄も同じ意見でした
先生からはイレッサを使うか「緩和療法」のどちらかを選ぶように
言われていたので私達はもちろん「緩和療法」の方を望んだ
でも、私達家族がそう思っても本人の意思がどうなのか…
治療するのは母だから。
もし母が「イレッサ」をすると言うならどうしようと不安がよぎった





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2007/01/26 06:54 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP
『…』
久しぶりの更新です
去年のクリスマス前からしばらく実家に帰ってました
ほんとは手術をするはずだったけど体調が悪くなりできなくなってしまった
それは肺に影がでてきたから。。。
カリニ肺炎かと思われたけど…再発でした
11月まではまだ元気だったのに。
心配で早く実家に帰りたかったけど子供の幼稚園もあるしなかなか帰れませんでした
帰る前に兄と電話で話した
「前とは全然違うから ほんまに大変やから」と言われた
どうゆう風に大変なのかよくわからなかったけど家に着いてその意味がすぐわかった
会った瞬間正直驚きが隠せなかった
あまりに変りすぎて…薬の副作用で顔が前以上にパンパン
腫れ過ぎて話しづらそう…笑うこともできない
一応会話はできるけど一日のうちほとんど寝てる
眠くてしょうがないらしい
でも起きてるうちは1才の孫を一生懸命目で追ってた
子供が泣いて抱っこをせがむけど私は家事をしていて手が離せなかった
それを見ていた母は弱々しい声で
「ごめんね ○○ちゃん、抱っこしてあげれなくて ごめんね…」と言ってた
辛かった…
でも母はもっと辛かっただろうなぁ…

私は実家にいる間に色々してあげたかった
父は働きながら母を介護し、家事をしているのでかなり疲れてるはずだから。
だけどそれ以上に母と色々話しがしたかった
母も話したいことがたくさんあるだろうから聞いてあげたかった
でも、考えて話すことがすごく大変そうでした
母も「話したいことあるんやけどなぁ」と言ってたけど結局
あまり話すことは出来なかった
もう字も書けないないし目もあまりよく見えてないよう…

*************************


1月9日にこれからどういう治療をするかという話をするために
家族全員で大阪の病院まで行った…

余命1年宣告から1年1ヶ月経過。








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2007/01/19 15:46 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP
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